2011年3月30日

where there is no will, there is no way (意志なきと​ころに道は出来ず)

被災地で活動していらっしゃる現場の方々に少しでも助けになればと思い、
以下のエピソードをご紹介します。



天然痘が流行していた当時、
天然痘根絶は、各国だれもが不可能だと考えていた事です。
天然痘を根絶させるかどうかは、僅差でWHA(世界保健総会)で可決されました。
初代WHO天然痘根絶対策部長はDAHenderson氏、2代目が蟻田功氏でした。

いかにWHAの承認を受けたとはいえ、反対も多く、
スタッフも満足にあてがわれませんでした。
そのため、天然痘根絶チームは、
既存のWHOの枠組みを超えた動きを余儀なくされました。
しかし、WHOと言えどもお役所、ある日蟻田氏は事務局長から呼ばれました。

「勝手な事ばかりして。すぐさまWHOを辞めろ!」

これに対して蟻田氏は答えました。
「わかりました。辞めましょう。しかし、それは天然痘を、地球上から根絶した時です。」

「いったいいつ出来るんだ?!」

「2年後です。」

僅か40人程度のスタッフを率いて、蟻田氏は、ソマリアの患者を最後に、
この世から天然痘患者をなくしました。
そして、WHOは1980年、天然痘根絶宣言を出したのです。
約束通り、蟻田氏はじめとする天然痘根絶スタッフは、WHOを去りました。

初代部長であるHenderson氏は、根絶後、
天然痘ウイルスを残す、というノーベル賞学者の意見に反対しました。
「ウイルスを残すことは、研究の重要性よりも危険性が上回る」という理由からです。
WHOは結局、ウイルスを残す事に決めたため、
Henderson氏はWHOと大喧嘩をしました。

私が、WHOに行きたいと言ってHenderson氏に推薦状を頼んだ時、
「僕が書くと、印象悪くなるかもしれないよ」と笑いながら言っていました。

その後、コリン・パウエル時代、保健省の最高責任者として君臨し、
現在、ピッツバーグ大学、バイオデフェンスセンターのご意見番として活躍しています。


このメールのタイトルにある、言葉を刻んだのは、
私の3人目の恩師である、GW Comstock博士です。
彼は、Henderson氏と親友でしたが、まったく違った生き方をしました。
BCGについての疫学研究に従事し、「BCGの効果は不明」として、
アメリカ政府にBCG導入を思いとどまらせた人物です。
長らくAmerican Journal of EpidemiologyのChief editorをつとめ、
最期ま で、「学生に教える時間が無くなる」事を理由に、
Johns Hopkins大学公衆衛生大学院長のポストを拒み続けた人です。
没後、現在でも彼を偲ぶ様々な行事が後を絶ちません。

私は、世界のビッグ・ガイを恩師に持ちました。

彼らたちから学んだことは、
「権力に屈することなく、国益あるいは世界にとって正しい事をすべき」と言う事です。

今、私がするべき事は、彼らたちから受け継いだ精神を、
後に伝える事だと思います。

国家を揺るがす、大きな打撃を受けた被災地の方々にとって、
恩師たちのメッセージが少しでも助けになれば、と願わずには居られません。


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