2014年11月20日

エボラ出血熱リスクと日本の危機管理体制セミナー   基調講演(平成26年11月19日 於:学士会館)

今日、お話ししようとしているエボラウイルス疾患(一般的にエボラ出血熱とよばれているので、以後そのように呼びます)は、一健康問題であるだけではなく、世界の危機と位置付けられています。そこで、我が国のエボラ対策の現状と問題点について、様々な角度から、議論をすることといたしました。48時間以内に世界中どこの国でも行けるダイナミズム、新興国の経済発展、気候変化などによって、今後感染症のリスクが減ることはないと言える現代で、今回の議論は必要不可欠なものだからです。本日お話しする大きなポイントは一つです。それは、我が国の感染症危機管理が十分に機能していないという事です。言葉を変えると、有事(緊急事態)と平時の体制の区別があいまいで、その結果、危機管理という概念が極めて希薄なシステムになってしまっているということです。

 まず、エボラ出血熱とはどのようなものか、という基本的なことについて説明させていただきます。対策を施すためにはまず、対象についてよく知るというのはとても重要だからです。エボラは、1976年、当時最悪の出血熱ウイルスと言われていた、マールブルグウイルスの発見から9年後、よく似たタイプのウイルスが、ザイールのエボラ川の流域で発見されました。これがエボラウイルスです。当時、ザイールとスーダンで430人が命を落としていました。これら2つのウイルス、マールブルグとエボラウイルスは、新しいタイプの病原体とみなされ、“フィロウイルス”と名付けられました。
 体の中に充満したウイルスによって炎症反応が起こり、発熱が起こります。また、体中の臓器をとかし(学術的には、ウイルスの生成する糖タンパクが、血管壁の細胞に癒着し、血管透過性を更新させる)、重症になれば全身から出血が起こります。ウイルスが体の中に入ってから、熱などの症状が出るまでに、2日から21日かかると言われています。発熱、頭痛などの症状を示す例が多く、インフルエンザなどとの鑑別が難しい病気です。その後、吐き気、発疹が出て、粘膜からの出血が出てきます。前に申し上げた通り、重症になると全身からの出血、多臓器不全が起こり、死に至ります。致死率は、50~90%(今回の流行ではWHO70%と報告)と言われていますが、開発途上国と先進国では、栄養状態、衛生状態、治療レベルなどが違うので、この数字が日本に当てはまるかどうかは不明です。ウイルスの感染経路として、空気感染、飛沫感染、接触感染があります。エボラウイルスは、直接患者に接触することによって、うつるとされていますが飛まつ感染の可能性も示唆されています。
元ソ連生物兵器製造組織最高責任者(バイオプレパラート)ケン・アリベック氏は、「ヒトとヒトとが直接接触しなくても感染させることが出来る」ウイルスだと、著書「バイオハザード(邦訳:生物兵器)」で記しています。今回の流行で、発病した妊婦がタクシーに乗るのを助けたことにより、感染したといわれているリベリア人の例からも、飛まつ感染 の可能性はゼロではないことがわかります。また、血液や体液を介してもうつるため、性交渉などで感染することもあります。バイオプレパラートでは、針刺し事故により少なくとも2人の研究者が死亡したとされています。
同じように血液と体液を介してうつる、HIV/AIDSと違い、性行為や針の使いまわしをするといった、特別な行動をしなくても感染するので、HIVウイルスと比べて感染力は強いといえます。また、体外に出ても寿命が長く、乾燥にも強いウイルスです。精液の中で数か月生存したという報告もあります。
このように、致死率が高いウイルスですが、アルコールや石鹸による消毒が可能です。また、次亜塩素酸も有効です。ファビピラビル (Favipiravir:商品名アビガン) はじめとする抗ウイルス薬が効果を示したという報告がありますが、現在までのところ、100%有効な治療薬、ワクチンを含む予防手段は確立されていません。
エボラ出血熱流行の現状に関してお話しします。1976年発見以降、23年刻みで流行が起きており、これまで一番大きな流行では、ウガンダで425人 の患者が出ています。2014年の流行は過去最大で、1114日現在、WHOの報告によれば、14098人の患者が出ており、5160人が死亡しています。報告された発生国は、ギニア、リベリア、シエラレオネ、マリ、スペイン、合衆国の計6か国で、ナイジェリアとセネガルは過去の発生例があります。
2014年のエボラ出血熱流行は、社会的に大きな影響を及ぼしています。多くの先進国にとって、感染症は過去に制圧されたもの、と受け止められていましたが、そうではなく、新たなうねりとなって私たちを襲ってくる可能性を、現実のものとして示しました。また、経済的な影響も非常に大きいものです。米国CDCは、西アフリカに於いて、1人の患者につき、1.5人の報告されない症例が隠れているとし、同地区においては、一億4千万人の患者が見込まれるとしています。また、症状を呈さないで、スクリーニングに引っかからない数も増えるだろうと予測しています。このCDCの試算をもとに、Forbes誌は、最悪のシナリがオをたどった場合、2016年末までに、治療費だけで約7000億円がかかり、世銀レポートによれば、最悪の場合、2015年までに3.5兆円の損失を世界経済に与えると試算しています。西アフリカは雨期が終わり、乾季になりました。この時期は、今まで一か所に固まっていた人たちが国境を越えて移動するので、最悪のシナリオを辿らないという保証はありません。

このようなエボラ出血熱に対して、我が国の対応はどのようになっているでしょうか。
感染症に対する法律としては、検疫法と感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)があります。また、緊急事態と認識された場合は、新型インフルエンザ法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)があります。これらの仕組みが、有事(緊急時)に即しているか、というと、そうではないと考えます。その理由についてお話しします。
 まず、このような法体系に基づいた仕組は効率的ではありません。検疫法は、国内に常在しない感染症が国内に入ることを防ぐための法律で、活動主体は厚生労働省の出先である検疫所です。検疫所は主要国際空港と、港という外国からの玄関口にあります。ところが、一たび国内に入ると、検疫法は外れ、国内法と呼ばれる感染症法に法って、感染症対策が行われます。この時の活動主体は、地方自治体です。2009年の新型インフルエンザ流行の際、防護服を着て空港内で活動していたのは検疫所職員で、2014年、デング熱患者発生の際、同様の防護服を着て、代々木公園などを消毒していたのは、東京都の職員です。また、検疫所の職員は、国際線ターミナルの制限区域に立ち入ることはできますが、国内線旅客ターミナルには立ち入れません。これらの例をとおして、検疫法と感染症法における活動母体の違いが、よく分かると思います。
 感染症法も国の法律ですから、厚労省の関与がないというわけではないのですが、法律をご覧になってもわかるように、感染症法に指定された感染症が発生した場合は、個人ないし医療機関が保健所に届けるというのが骨子で、その情報を地方自治体を通じて国に報告するという流れです。それゆえ、厚労省は、新型インフルエンザ流行の際も、国で決定された事項を「通知」あるいは「事務連絡」という形で地方都道府県に依頼をすることになります。
 1979FEMAレオ・ボスナー氏が来日し、1年間の視察ののち、多くの提言をおこなっています。それ等をうけて、指揮命令系統の一体化がはかられました。すなわち緊急事態と国が認識した場合は、内閣官房などが主体となった初動体制が敷かれることとなりました。内閣情報調査室から総理、官房長官、危機管理審議官、ならびに、内閣危機管理監(現在は警視総監)、内閣官房副長官補(官僚)、危機管理審議官に速報が入り、官邸対策室ができます。対策室は、緊急参集チームと協議して、関係省庁の局長級が招集され、有事の種類、事態などに応じて、主幹府省庁が決定されます。エボラ出血熱に関しては、現在、内閣官房新型インフルエンザ等対策室が、先導を取ることになっています。
 一見、このように統一された指揮系統の元、問題なく組織が稼働すると思われますが、残念ながら、実際の稼働となるとそうではなくなってくる可能性が高いのです。検疫法と、感染症法の2つの柱が感染症対策の基本であることは前にも申し上げましたが、2つの柱があるという事は、それらの法令に伴う棲み分けがあるという事です。具体的には、厚労省本省→結核・感染症課⇔検疫業務管理室→検疫所という厚労省ルートと、保健所→地方自治体→厚労省という地方自治体主体の枠組みです。国と地方自治体の棲み分けは、例として国際線ターミナル内を区切りとし、地方自治体では県境などが区切りとなります。しかし、先日の疑い例のように、検疫所を超えて国内に入った例のように、検疫法と国内法の2つがあることによって、状況把握や、感染症対策の一本化が難しくなってきます。厚労省は検疫所を通じて、疑い例に、「体温測定を一日2回して、体調を検疫所に伝えるよう、また、具合が悪くなったら感染症専門の医療機関を受診する、保健所に相談する」と伝えてあったのですが、具合が悪い方がそんなことを確実にするかというと、そんな事はありません。特に法的な義務が発生しているわけではないですし、それらの事を、強制する力も国にはありません。
 また、地方自治体は国からの通知や事務連絡を受け取ってはいますが、それを現実的にどう適応させるかは、地方自治体ごとに違ってきます。今回の疑い例が国と地方をまたがったように、地方自治体をまたがることも十分想定されるので、地方自治体ごとのすり合わせをしっかりとしておかないと、実際に事が起こった時スムースに物事が進まなくなる可能性が高いと言えます。


 

前にも申し上げましたが、国家の危機と判断された場合は、内閣危機管理監がリーダーとなって初動体制が敷かれます。総合調整として、各省庁に分担を振るのですが、エボラ感染症疾患の場合は、厚生労働省です。そうなると、平時の場合と同様のルート、すなわち、国内に入れないような水際作戦に過度に注力し、国内に関しては地方自体に依存するところが大きいという、平時の体制とほぼ変わらないやり方で、対応が進んでゆくことになります。厚労省に限らず、役所は法令順守を第一義とします。故にその法体系が現状にそぐわないことが、一番の問題点だと思います。
クリントン政権時代、初代FEMA長官を務めたジェームズ・ウイット氏は、講演で、「日本においては、多くの異なる省庁が異なる責任をもっているようである(中略)どこが総括的な計画をもっているのか、どうやって一緒に協力していくか、どうやって資源を調節するのか。中央のレベルから実際の地方のレベルまでどのように協力し、どうやって一定の資源から最大の効果を引き出すのか。資源は限定されており、いかにむだを省くかなど計画はあるのかがはっきりしない」としています。様々な通知などは発令されていても、エボラウイルス感染症を受け入れられる医療機関は全国45で、総ベッド数80であり、医療スタッフも不足している現状は、ウィット氏の指摘がそのまま当てはまることを示す例だといえるでしょう。
検疫法ができたのは昭和初期で、船が主要交通機関の時代でした。それゆえ、“港”という文字が前面に出てきます。もともとはチフス・コレラに対応した法律であり、船内でこれらの病気が発生した場合は、静養も兼ねた停留が行われたのです。ところが、今や、48時間以内に世界どの国でも行ける時代であり、感染症をとりまく状況も全く様変わりしています。WHOはヘルスセキュリティという言葉を使いだしました。これはすべからく、「健康問題はもはや安全保障の問題である」という事を示しています。言い換えれば、バイオテロの脅威にも世界は備えなければならないという事です。我が国は、オウム真理教が世界で初めてのバイオテロを行った国です。感染症の専門家集団ではない彼らが、一般のキッチン程度の設備で生物兵器をつくりだした事に対して、世界は驚愕しました。これがWHOはじめ、世界の感染症に関する意識を大きく変えたのですが、当の日本といえば、その感受性が高いとは言えない状況です。
また、検疫法には「隔離・停留」という言葉が何度も使われます。隔離という言葉は、日本語ではあまり正確に区別されていませんが、isolation=患者を一般集団から離す、quarantine=患者だけでなく、感染の可能性がある場合も一般集団から離す、という明確な区別がされています。特に患者でない人を一般集団から離す場合は、健常人である可能性もある人の行動制限を行うわけですから、十分な注意が必要です。隔離することの効果(医学科学的でなく社会的、政治的な側面も含めて)が、個人の自由を制限することによって生じる負のインパクト、例えば倫理的な側面など、を上回った時にだけ、その権力を行使すべき、と、D.A. Henderson氏は述べています(Bioterrorism JAMA books)。感染症が今後大きな社会問題となってゆく中で、隔離・停留の法的議論がなされないことはおかしなことです。エボラウイルス感染の可能性が否定できない米国の看護師が、個人の自由の主張を行い、州政府と争った状況とはあまりにかけ離れていると言えるでしょう。
実際、エボラウイルスは、ケン・アリベック氏が指摘する通り、その威力から生物兵器として科学者たちを魅了し、1990年台後半には、エボラウイルスの多量生産が可能になった、とその著書に記しています。日本でもブラッディマンデー(龍門諒原作・恵広史作画の漫画作品、およびそれを原作とした連続テレビドラマ)のモデルとなったウイルスですから、記憶に新しい方もいらっしゃると思います。ところが、この生物兵器の候補であるウイルスに関して、我が国はウイルス解析が可能な施設をもちません。正しくはBSL4の研究室が稼働していないという現状があります。ウイルスの遺伝子情報がわからなければ、そのウイルスがどこから来たのか、変異はあるのか、人為的にまかれたのか、それとも自然発生的なのかという基本情報が取れません。敵を知る、ことは兵法に於いても最も重要な事柄ですが、それができない、なさないというのは大きな問題です。この問題を重く見た日本学術会議は、今年3月20日、「我が国のBSL4研究施設の必要性について」の提言を行っています。
繰り返しますが、エボラウイルスには100%有効なワクチンも治療薬もありません。そのためにはできるだけ早く感染者を発見し、新たなワクチン、治療薬の開発が絶対に必要です。これは我が国だけの問題ではなく、国際社会の一員として、先進国の代表として行わなければならない最重点項目のひとつです。ところが、BSL4の施設がないことによって、診断薬、ワクチン、治療薬の開発に大きな制限がかかってしまいます。特に、ワクチン開発はウイルス疾患の予防に関して、もっとも有効なツールですが、遺伝子レベルの研究ができなければ、ワクチン開発自体が進まないというジレンマを生んでいます。エボラ出血熱は世界的な脅威であると同時に、研究開発に於いて大きなマーケットの場でもあります。BSL4施設の稼働は、この面から見ても重要です。
最後に報道に関して、です。今日は多くの報道関係者がいらっしゃっていますが、エボラ出血熱の報道の在り方には少なからず疑問を持っている人も多いと思います。今回の感染疑いの方も、あたかも犯罪者のようなイメージが作られ、受診した医療機関の責任も必要以上に追及されていたと感じます。2009年の新型インフルエンザ流行でも同じような状況でした。発病した高校生がまるで、悪いことをしたかのようにその行動が報道され、ソーシャルメディア内では実名も明かされました。感染症に対するおそれが、ある極端な形で社会的に取り上げられるというのは決して正しい方向とは思えません。また、感染症におけるメディア報道は、もう一つの大きな問題を提起しています。西アフリカの現状を伝えるために、報道スタッフが現地に入ることがあります。しかしながら彼らたちの感染防御に関する知識やトレーニングが十分にされているか、といえば必ずしもそうとは言えないと思います。こうした状況では、報道スタッフ自身が2次感染を広げる媒体となってしまう危険性があります。報道の自由とは相反することですが、今日はこの点についても議論をしたいと思います。